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通勤用の文庫が今朝電車内で続きを読もうとしたら
行方不明になっていました。

こんなこともあろうかと、別の文庫を忍ばせておいたのが幸いして、
さして慌てることもなく、通勤時間を過ごしました。
家に帰ってあらためてバッグのなかや、
本棚を探してみましたが、見つかりません。
多分、職場の机の引き出しの中に落ちていると思われます。

次に読むつもりだった本→「孔子伝」

別に孔子に興味はないですが、著者が白川静。
すっかり宮城谷昌光さんから遠ざかっています。

1ヶ月以上はかかると覚悟の本を読んでいくと、
読んだことがない本からの引用がちらほらあって、
そんな、知っているのを前提に話をされても困ります、状態に陥る。

唯一、読んだことはある(中身は覚えてない)「論語」も当然といえば当然登場。

「論語(述而)」より―――信而好古(信じて古を好む)

例外なく、そんな下りがあったか覚えがありません。

なんでいまごろ引っ掛かるのか不思議だけど、
どうしても脳内はある人物を登場させてきます。

年末の、秋山・阿部・好古、
本名・秋山好古(信三郎)。

ここ、ここですか、名付けた人!
勘違いだったら、赤っ恥もいいとこだ。

帰宅後、「論語」(岩波文庫)を引っ張り出して、
述而[読めない]の箇所(127ページ)を確認。

やっぱり覚えてない。

「論語」でいま思い出せるのは“切磋琢磨”に似た文章が出ていたことですが
いま探そうとすると巻末の索引をつかっても見つからないから
夢でもみていたのだと思います。

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